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2014年3月29日土曜日

春の感触 2014.03.23

大雪の後は都心近郊の山でも雪に難儀しているようですね。パソコンの前でトレースがつくのを待ちわびている日々ですが、ボチボチ付き始めているようです。雪崩には気をつけましょう。

3月は適度な残雪の奥多摩で泊まり初めをすることにしていますが、2月の大雪の影響でのんびり歩くにはまだ雪が多く、約1300m前後以上では日が当たるところでも結構雪が残っているようです。

先月訪れた倉岳山の尾根は雪が無くなり谷筋に人が入り始めたので、雪の感触を確認がてら同じ所へ行くことにしました。

・・・つづきはこちら→ SUGISI の軌跡 -2



2014年3月16日日曜日

野見山暁治展 いつかは会える 2014.03.15


2014年1月25日(土) ~ 3月23日(日)
ニューオータニ美術館

通勤電車の車窓から景色を見ていたらこの展覧会のポスターが後方に流れ行くのが残像として目に映った。
2003年に開かれた展覧会以来、待ちに待った展覧会。
調べたら2011年にブリジストン美術館で展覧会あったそうだが、これは知らなかった。

春のような暖かい陽の中にも冷たい風が冬の存在を在り在りと感じさせる。初めてのニューオータニ美術館へ嫁さんと出かけた。

野見山暁治(以後野見爺)のことを知ったのは2003年に開かれた展覧会の宣伝の一枚だった。それまでもそして今も絵にはそれ程魅かれることはない。だが野見爺の絵はなぜか実物を見たくなって展覧会に足を運んだ。東京国立近代美術館を訪れその絵にまっすぐに歩み寄っていく光景をよく覚えているし、絵の迫力、色遣いにとても感動した。その絵が一際素晴らしかった。明るい色使いとダイナミックさがその時の自分の感情に合ったのだろう。それ以来野見爺の絵は大切な一枚となった。

今回は、2008年に東京メトロ副都心線明治神宮前駅に飾られた≪いつかは会える≫、2011年にJR博多駅に飾られた≪海の向こうから≫、2013年に福岡空港国際線ターミナルに飾られた≪そらの港≫の3点のステンドグラスの原画が中心で10年前の一枚はお目にかかれなかったが、若き日の作品と共に展示されていました。

録画しておいたNHK日曜美術館で野見爺が取り上げられた回で時代背景や人生、言葉を見たせいか、10年前は全く心に留めなかった若き日の暗い絵にも目が留まり共感をおぼえた。90歳にして東日本大震災の被災地を訪れるバイタリティと毎日カンバスに向かう姿勢はどこから来るのか。身近なことに着目する目線とそれぞれを一つの世界の事象と捉える大きな目線はどのように培われてきたのか。野見爺と同化して今まで見てきたものと今見ているものを全て見てみたい気持ちにさせられた。

ニューオータニ美術館6Fから


展覧会を見た後は、途中表参道で下車して福井のアンテナショップでお酒とおあげを買い、明治神宮前駅に向かいました。もちろん目的は先述したステンドグラスを見ること。

ステンドグラスと私
展示されているのは改札の中です。中から改札口を目の前にして立って右方向に回り込んだ壁面にあります。

流れるように色鮮やかに目に飛び込んできます。

少しは同化できただろうか?


2014年3月9日日曜日

高尾山 -5 2014.03.08

















雪の高尾山はずいぶんと久しぶり 大雪の日から日にちは経ちましたが ちょっとした雪山気分を楽しめました

引き返すことも想定して緩やかな道から始まる「6号路」へ嫁さんを誘導  

・・・つづきはこちら → SUGISI の軌跡 -2



2014年3月2日日曜日

Helleborus






















昨年暮れに、菊鉢8号鉢で2鉢あったものを、一鉢は株分けして2鉢にし、もう一鉢はベジタブル深底12号に植え替えました。

開花したのは先週。今年もきれいな白い花が咲きました。

もともと一鉢だったクリスマスローズもここまで成長しました。
楽しみは深底に植え替えた株がどんだけ育つかです。

クリスマスローズは下方に根を張るようなので縦長の鉢に植え替えた。

大株で満開の状態になるのが楽しみです。

芽の出具合と根の張り具合を見て、深底の株分けは 2016年の暮れになると踏んでます。
株分けの仕方は、1/2株 + 1/4株 + 1/4 株 の3鉢に分けたいと狙っています。
1/2株は分けると半月状の根になりそうなので、更に半分にして小さい鉢に寄せ植えにして新たに一株にするかもしれません。そこはその時の状態に寄ります。一旦深底は空きになりますが、1/2株をしっかりさせて、2018年 暮れに深底へ植え替えます。
1/4株は状態に応じて一年ごとに根に見合った鉢へ植え替えます。

まだまだ、長い付き合いになりそう。

今、密かに風知草に手を出そうかどうか思案中です。株分けが大変そうなので、安くて小さい鉢があれば購入したいと思っているのですが・・・。

冬枯れの葉を自宅で堪能したいのだ。



冒険手帳






















「この作品は、『冒険手帳』(1972年 主婦と生活社刊)を加筆、修正し、文庫化したものです。」

 1. 火をおこす
 2. 料理をする
 3. 食べる
 4. 獲る
 5. 寝る
 6. 切る
 7. 結ぶ
 8. 歩く
 9. 伝える
10. 測る
11. 遊ぶ
12. 救う
13. 鍛える

13項目に分かれて画を使って分かりやすく簡潔に書かれている。

文明の利器が無かったら・・・というのが前提で語られていて、自然界で食べられるものや野営する方法など、自力で生きていく方法が紹介されている。

今となっては特に目新しいことは載ってはいないが、知っていて損することはなく、日常生活で必要なことはほとんどない。

トンボを食べなくてはならないような事態に陥ることもないし、太陽から時間を割り出すこともない。

ただ自然が好きな私としては興味は惹かれる内容である。

私は細やかながら泊りを兼ねて入山する者でありますが、それはちょっとした冒険であり旅である。
しかしながら、それは制限(日程)がある旅であるから道具や技術はその制限を満たすものであればよい。だから、奥多摩や八ヶ岳に行っても、ウサギを狩ることもないし、太陽熱を利用して水を確保することもない。

であるから、文明の利器が無い状況で制限が無い生活を強いられた場合のお話は、どこか古臭く目新しいものは感じられない。

一つ発見があったとすれば、文明の利器が巷に溢れようとも、人間が二足歩行を開始して今も相変わらず二足歩行をしている限り、その体の構造上それらは必要不可欠な要素であり、その延長線上の日常生活であることには変わりのないことなのだと思う。